横浜地方裁判所 昭和55年(ワ)1375号 判決 1983年2月03日
原告
五十嵐勇
右訴訟代理人
杉田光義
小島敏明
稲田寛
被告
上中ノ原住宅管理組合
右代表者理事長
稗田保
右訴訟代理人
大内邦彦
主文
被告は、原告に対し、金二〇九万九六三八円及びうち金一八九万九六三八円に対する昭和五五年七月四日から、うち金二〇万円に対するこの判決確定の日の翌日からそれぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告の各負担とする。
この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金二一六八万二四七一円及びうち金一九六八万二四七一円に対する昭和五三年九月二四日から、うち金二〇〇万円に対するこの判決確定の日の翌日からそれぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 第一項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告は相模原市下九沢一五五八番地外所在の上中ノ原団地一二号棟五〇二号室に妻子(長女六才、次女五才)と共に居住し川崎市高津区消防署に消防士として勤務している。
被告は、原告を含め上中ノ原団地(三七〇戸)に居住の全住民を組合員とする団地管理組合で、同団地に係る共有物を管理し、かつ住宅及び共有物の使用に伴う組合員の共同利益の維持・増進をはかることを目的として昭和五一年三月一七日に設立され、昭和五四年四月一日から昭和五五年三月三一日までの間の会計年度の収入が前期繰越剰余金を含め二三九一万一七七二円となる大規模な自主的管理組合であり、その性格はいわゆる権利能力なき社団に該当する。
2 事故の発生
原告は、昭和五三年九月二三日午後四時三〇分ころ上中ノ原団地一二号棟南側斜面の芝を、他の団地住民数名と共に自動芝刈機を使用して刈り取る作業に従事中、誤つて右手が作動中の刃に触れたために、右手人差指及び中指の一部を指骨とともに削ぎ取られる傷害を受けた。
3 被告の責任
被告は債務不履行により原告の右の損害を賠償する義務がある。
(一) 被告組合は、昭和五一年春の発足にあたり「上中ノ原住宅管理組合規約」(以下「規約」という。)を定め、これにより組合は日本住宅公団が建築した分譲住宅団地の共有物を管理し、かつ分譲住宅及び共有物の使用に伴う組合員の共同利益の維持、増進をはかることを目的とし、その目的のために組合員総会で各棟一名の合計一六名の理事を選任し理事会に業務の運営を委ね、更に執行担当者として理事長(建物の区分所有等に関する法律第一七条、三六条に言う管理者を意味する。)を選任することになつている。
なお同規約によると、組合総会の決義事項として同二七条が規定する事項は、規約の変更又は廃止(同条一項)等の基本的な事項のほか、組合ないし組合員の利害に関する重要な事項として「組合の運営又は業務執行に係る基本的な方針の決定又は変更(同一一項)」「組合業務の委託等の変更又は廃止(同一二項)」「その他組合管理共有物の管理及び使用に伴う組合員の共同利益に係る基本的な事項(同一三項)」等の事項につき組合総会にはかつて議決を要求している(規約二八条)。
役員に関する規約によれば、役員は法令、規約、総会の決議を順守し、組合のために忠実にその職務を遂行する義務を負い(同三二条)、理事長は組合を代表し、総会又は理事会の議決に基づいて組合業務を執行するとともに、理事長の執行する組合業務に関して理事長が得た債権及び債務は、組合員全員に及ぶ(同三六条一項、三項)。
そして管理すべき共有物には、団地内敷地、管理事務所、樹木、芝生、駐車場等があり、棟間の芝生植栽地はこれに該当し、発足以来被告組合が管理支配してきたもので、本件事故発生の場所である一二号棟南側の平地に続く傾斜地もこれに含まれる。
ところで被告組合では、昭和五一年春以来、団地内共有地の芝刈業務を、業務用動力芝刈機を購入して、株式会社団地サービスに委託し行つていたが、昭和五二年秋、理事会において経費節減のため組合員個人に芝刈業務を負担させることを決定し、各号棟組合員において各号棟周辺の共有地の芝を刈るように階段委員及び組合ニュースを以て命令指示した。
昭和五三年秋にも同様の決定がなされ、その結果原告らは一二号棟に住む他の組合員と共に同棟周辺の芝刈業務に就くことになつた。
(二) 被告組合を代表する理事長は、規約及び法令に基づく「管理者」として、従前業者に委託して行わせていた団地内共有地の芝刈業務を、委託契約を解除して組合員に分担遂行せしめる変更をする場合は、組合経費の収支並びに組合員の労務負担等に重大な変更が生ずる事項であるから規約二七条の「組合の運営又は業務執行に係る基本的な方針の決定、変更(同一一項)」、「組合業務の委託等の変更又は廃止(同一二項)」、「組合管理共有物の管理及び使用に伴う組合員の共同利益に係る基本的な事項(同一三項)」にいずれも該当すべき事項であつたのであり、総会にはかつて決議を経て、その決議に基づき右組合業務を遂行すべき義務があつた。
然るに被告組合理事長は、規約及び法令の規定に違反して右手続を一切順守せずに芝刈業務を業者委託から原告を含む組合員負担に変更し、組合業務の具体的遂行を指示命令して行わせた結果原告に生ぜしめた損害につき、被告組合は民法及び規約三六条等により損害を賠償すべき義務がある。
(三) 被告組合は、前記の通りその規約に基づき共有地及び動力芝刈機を設置管理し他方被告組合のための業務を組合員に分担遂行させたこと、又芝刈業務における労働条件等をも支配管理していたのであるから、その事業遂行のために組合員に対し機械を提供してこれを操作させて労務の提供を受ける以上、組合員が労働をなすべき時の天候状態、労働をなすべき地形ないし場所、操作させる機械、当該機械を操作させる条件等につき、これら労務を提供させる組合員の生命、身体、健康等を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務がある。
イ 然るに被告組合は、原告を含む一二号棟組合員に対し、同五三年九月二三日に同棟周辺の芝刈作業を遂行するよう指示命令したのみで、同日は雨天であつたのに雨が止んだ午後にいまだ芝が濡れており、そのうえ芝も非常に長く繁茂していてスリップ事故が当然予測されたのに漫然そのまま芝刈作業を遂行させた。
ロ 更に同棟南側の23.4度の傾斜をもつ上下五メートルの長さの傾斜地を、原告を含む一二号棟組合員の業務地に指示し、機械操作上及びスリップ等から事故のおそれが充分予測されるのに、素人である原告組合員らに対し危険な作業に従事せしめた。
ハ 被告組合は、その発足にあたつて業者用に購入した業務用動力芝刈機をそれ自体素人組合員が操作するにあたつては当然危険が予測されるのに、芝刈業務の組合員負担を決定しただけで何らの配慮もなくそれを操作させ危険な業務を遂行させた。
ニ しかもその業務遂行をさせるにあたつて、何らの危険回避のための指導、講習、個別的な注意等の事前対策を措ることもなく、かつ万一組合員の生命、身体、健康等に損害が生じた場合の事後的な保険等による補償処置を講ずることもなく、原告を含む組合員に極めて危険な作業遂行を指揮命令した過失によつて、原告に多大な損害を発生させたものである。
以上を要するに、被告組合に対し原告が組合契約ないし団体協約上一定の金銭及び労務の提供義務が存する以上、それに対応して、被告組合は提供させる金銭及び労務につき自己の負担する義務にしたがつて履行行為をなすべき責任があり、それに違反すれば第一次的には債務不履行責任を免れない。
仮に原被告間に何らの契約関係が存しないとしても、不法行為法において、危険な物及び状況を自己の支配、管理のうちに有する者は、そこに従事する第三者に対し前記内容の安全配慮義務を負担すべきであり、その支配管理の過失に因りその従事者に損害を蒙らせたときは、この賠償をする責任を負担すべきである。
4 損害
原告は先のとおりの傷害を受け、その結果次のとおり損害を蒙つた。
(一) 治療費等
(イ) 治療費 金二万八六九八円
(ロ) 付添看護費 金一万五〇〇〇円
(ハ) 入院雑費 金三万一二〇〇円
(ニ) 通院交通費 金九万七一四〇円
(二) 逸失利益
(イ) 収入減額 金一二〇万円
但し、昭和五三年一〇月から同五五年二月五日まで
(ロ) 労働能力喪失補償 金一二二九万九四〇〇円
(三) 慰藉料
(イ) 入通院慰藉料 金一二七万一〇三三円
原告は負傷後、同五三年九月二五日から同年一一月一五日迄五二日間入院し、同月一六日から同五五年二月六日迄通院治療を受けた。
(ロ) 後遺症慰藉料 金二二四万円
(四) 転居等に伴う損害 金二五〇万円
被告理事会は本裁判開始後原告とその家族を敵視しているから原告らは他所に転居せざるを得ず、これに右額の金員を要する。
(五) 弁護士費用 金二〇〇万円
5 よつて、原告は、被告に対し第一次的に債務不履行又は安全配慮義務不履行、第二次的に不法行為による損害賠償請求権に基づき金二一六八万二四七一円及びうち金一九一八万二四七一円については負傷した日の翌日である昭和五三年九月二四日から、うち金二〇〇万円についてはこの判決確定の日の翌日から、それぞれ支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1及び2の事実は全部認める。但し、被告の法的性格は組合(民法六六七条)である。
2 被告に損害賠償義務の存することは争う。
団地内の組合員各自の共有物を管理するには組合員の協力を必要とするところから、被告組合は団地内の芝生の芝刈を組合員の手で行うことにしたが、被告組合と組合員の関係は、組合員が芝刈に参加するかしないかは各組合員の任意の意思による自由参加で、決して強制或は負担をかけて半強制的に参加させるものではなく、共有物である芝生の芝刈作業を共同で行つたのであつて、組合員に労務を提供させ組合がこれを受ける契約関係には立たず、事実関係である。実際には各棟から任期三か月の順番制で役につく階段委員が音頭をとつて、六月から九月までの間に、各組合員の参加しやすい日曜祭日を選んで日程をたて、動力芝刈機を使うのも各棟からの申込順番によるものであつて、各組合員の自主的判断に基づき使用するのであり、決して組合理事会の指示割当により作業を担当するものではない。
又、本件の芝刈機は素人が使つて差支えない動力芝刈機であり、その構造上危険な箇所は動力で回転する芝刈の刃であるが、これは機体下部に芝面に刃が接するように装置されており、しかも刃の回転する部分は全部鉄製の安全カバーで覆われていて動力芝刈機を操作する人間に危険が及ばないような構造になつている。しかしどのように回転する刃をカバーで覆つていても、その刃に直接手を触れれば怪我をするのは当然であり、そのことは特別の専門的知識を持たない人でも十分に知りうることである。
本件事故は、原告が右手を安全カバーの下辺と芝面との間にできるすき間に差入れた原告自身の不注意から生じたものであり、被告には何らの責任がない。
3 請求原因4の事実は知らない。
三 抗弁(過失相殺)
1 原告と共に芝刈作業をしており芝刈機のハンドルを握つて操作していた訴外頓所修身(以下「頓所」という。)は、芝刈機の横から手を出す原告に対し、危ないから止めるようにと再三注意した。
2 頓所が、芝刈機のハンドルを押して芝刈機が芝面の先端まで進みそこで前進できないので一時芝刈機を押すのを止め後退させようと一呼吸したその時、原告は芝刈機の安全カバーの前部に右手をのばし、安全カバーの下端を持ち上げるような姿勢をとつたときに負傷した。つまり原告は、通常人ならば危険を感じる安全カバーに覆われた内部にまで指を差し入れて受傷したものである。
3 原告は、昭和五二年秋期の芝刈作業において芝刈機を何回も操作しておりその構造を熟知している。
四 抗弁に対する認否
全部否認する。
1 前記のとおり、原告が芝刈機を押し上げていたところ原告への荷重が強まり芝刈機が支えきれなくなり、又、雨後のため芝地が滑りやすくなつていたため足場から全身がずり落ちて体のバランスを失い、一瞬右手が芝刈機前方車輪付近に向かつた。その瞬間作動中の刃に右手が触れて前記傷害を負つた。
2 原告が昭和五二年秋期の芝刈作業において、芝刈機を操作したのは平面芝地であつてそこを二往復しただけである。
3 そもそも原告が傾斜面で機械の滑り落ちるのを下側から支えていなければ被告の指示する作業を遂行できない状況であつた。原告は他の組合員にかわつてたまたまその後を担当したにすぎない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1及び2の各事実は被告の法的性格を除き当事者間に争いがない。
二<証拠>によれば次の各事実が認められこれに反する証拠はない。
1 被告組合の機構
上中ノ原団地は一六棟から成る住宅群であり各棟一名の割合で理事者を選出し、互選により理事長一名、副理事長二名、理事一二名、監事一名を決め、理事会が組合業務の方針を決定する。決定された方針は組合ニュースと題する文書で各戸に知らされ、或いは一つの階段を利用する一〇戸から概ね三か月毎に輪番にて当る一名の階段委員を通じて知らされる。(請求原因3の(一)の事実中第四段までについては、被告はこれを明らかに争わないから自白したものとみなす。)
2 芝刈の実施
被告組合は発足後組合員の共有物の維持管理を訴外株式会社団地サービスに委ね、棟間共有地の芝刈については組合で昭和五一年九月株式会社共栄社製の自動草刈機(本件芝刈機という。)を購入し訴外会社に使用させていた。
本件芝刈機は、二サイクル排気量一一〇立方センチメートル毎分三六〇〇回転の混合ガソリン使用のエンジンに直径五〇センチメートル幅六センチメートルのロータリーナイフを作業面と平行に回転する様に結合した作業機本体を幅四センチメートル直径二〇センチメートルの動力を有しない四つの車輪及びこれらを結ぶ鉄パイプとの枠構造体を以て作業面と距離を有して支え、作業機本体から斜め上方に向けて固着した長さ九六センチメートルの鉄パイプ製の長柄型ハンドルを押して作業を進めるもので、ロータリーナイフの上方からこれを包む様に鉄板製カバーが備えてあり、作業機本体の全長は八一センチメートル、全幅は五五センチメートル、全高は四四センチメートルであり、総重量は三五キログラムである。本件芝刈機はゴルフ場、公園等作業面積が広い場所における業務用に酷使に耐える堅牢な仕上がりで、傾斜面での作業にすぐれている。
昭和五二年九月初めころ被告理事会は、訴外会社に委託して共有地部分の芝刈を実施した場合、少なくとも年間二一〇万円の予算を計上しなくてはならないから、これを節約し団地組合員自ら行うことを決定し、併せて共同作業の結果住民の親睦がはかられることを目指した。先ず同年九月四日に開かれた階段委員の集会において理事会の方針が伝えられ、更に同月七日には文書を以て階段委員を介し各組合員に、芝刈作業の日程は動力芝刈機一台と手押式の芝刈機三台の使用順序と併せ各階段委員が相談して決められたきこと、動力芝刈機は操作がむずかしいから男性がこの使用に当たられたきことが伝えられ、同月一三日に一勢に組合員による芝刈が行われた。その後組合員で芝刈を済ませる方針は再確認され、同年一〇月一七日文書を以て、以後動力芝刈機の使用は書面による申込みによるものとし、申込順に使用されたきこと、連絡調整は階段委員相互の話合いで決定されたきことが知らされた。もつとも昭和五三年春には芝刈は業者に委託し、同年秋は再度組合員がこれを行い、昭和五四年春以降は組合が人を雇いこれに当らせている。
3 事故時の芝刈
昭和五三年九月二三日は、その以前に芝刈の施行日と決まり、当日は午前中降雨のため午後三時ころから組合員は三三五五集まり、原告はやや遅れてこれに加わつた。作業範囲については理事会その他においてもはつきり定められることがなく、概ね各棟の住民がその周辺の芝を刈ることになつていた。
一二号棟の住民は、前記の自動芝刈機を用い交替で芝刈作業に当り、先ず同棟南側の平地から更に南に続く傾斜地へと進んで行つた。傾斜地での作業は芝刈機をおよそ二三度四〇分の斜面方向と直交して往復させ、三人或いは四人がハンドルを持ち、作業機本体に結びつけたロープを以て斜面上方に引いて支え、或いは斜面下側から作業機本体が斜面に密着して芝刈が有効に行われる様にこれを押さえたりした。事故はこの作業中訴外頓所修身がハンドルを持ち訴外小林某が作業機本体に手をかけて原告と共に支え一方向に進み切り一呼吸置いたときに斜面下側にいた原告の右手が回転中の刃に巻き込まれて発生した。その詳細はこれを明らかになし得ないが、右の諸事実によれば、原告が身体の平衡を失し、右手を以てこれを支えようとして、その置く位置を廻り、或いは斜面下方からの支持力を一瞬失つた芝刈機が下方に滑り原告の右手と接触して起つたものと推認しうる。
4 被告の注意
被告組合では当初訴外株式会社団地サービスに使用させるために購入した自動芝刈機を団地住民に使用させるについて「無断使用禁止のこと、使用中子供を近づけぬこと、石ころを拾つてから使用のこと、使用後は掃除して返すこと、故障の場合はすぐ連絡、動力機は操作指導を受けること」と記載された板片をハンドル下部に針金で括りつけたほかは、前記のとおり文書を以て、使用は男子が望ましいと住民に伝えた外は、利用希望者の自由に委ね、格別の注意を払わなかつた。
三そこで右の事実に基づいて被告の責任について考えるのに、原告は、被告組合が従来訴外団地サービスに委託していた芝刈作業を、組合員総会でなしに理事会決定だけで以て組合員に行わせたことは組合規約に反し、これが本件事故の原因をなしたと主張するが、仮に原告主張の手続的瑕疵が存したとしても、それが事故を惹き起こしたとは到底言えない。それは組合員に芝刈作業を行わせたことが事故の原因であるとするのに等しく、因果関係の具体性に著しく欠けるからである。
原告は、次に被告に債務不履行(安全配慮義務違反)があつたと主張し、被告は、原被告間には芝刈作業に関して何らの契約関係が存しないとしてこれを争う。たしかに被告は原告に対し、芝刈作業の日時・場所を単に指示したのみであり、原告が自発的にこれに応じて芝刈作業を行つたものであつて、そこには、原被告間に権利義務関係を発生せしめる労務供給契約は存在せず、従つて、右のような被告の義務も発生しないものと考えられなくもない。しかし、被告は団地の共有物を管理することを目的として成立し、事故はこの目的遂行上発生したものであること、被告は前記のとおり、団地住民から徴収する組合費を以て財政を賄い、その経費節減のために共有地の芝刈を組合員自ら行う、つまり組合費の徴収に代えて労務の提供を求める関係にある(被告の言う任意参加の方針が全員不参加を結果したら、経費節減という所期の目的は達せられない。)こと、従つて、理事会の決定は組合員に対し少なくとも事実上の拘束力があると推認しうることにてらすと、芝刈作業自体が原被告間の或契約の債務の履行だとは言えないにしても、原告が被告の指示に対応して労務を提供する場合には、被告は原告に対して、信義則上原告の生命、身体、財産に対する特別の保護措置を講ずべき義務があるというべきである。
具体的には、本件芝刈機はその機構は単純なものであるが、業務用、すなわち手慣れた人によつて使用される事を予定したものであり、実際にも被告はこれを業者の使用に委ねていたのであるから、その使用方法については改めて組合員に周知徹底せしめ、作業場所が斜面(雨後の)をも含むのであるから、重量や構造から容易に予測しうる危険を避けるために、作業手順、作業者の位置、人数等につき業者の智恵を借りるなりして組合員に重ねて理解をさせ、事情によつては本件芝刈機の使用を控えさせるなどの配慮をすべきであつた。被告がこれをなしたと認むべき証拠は存しない。
本件事故は斜面下方に位置した原告が前記の次第で負傷したものであり、被告が右の措置をとるべき義務を怠つたことに起因すると言える。
四そこで原告が本件事故により蒙つた損害について判断するのに、<証拠>によれば、原告は昭和五三年九月二三日に右第二、第三指挫滅創の傷害を受けたあと相模原市の伊藤病院にて応急の措置をし、同月二五日から同年一一月一五日まで新宿区の社会保険中央総合病院に入院し、この間一〇月二日と一〇月三〇日に手術を受けたこと、その後も同病院に通院を続け、昭和五五年二月六日までに、傷害を受けた二指に伸展屈曲に不自由がある等の状態で症状は固定したことが認められ、これにより原告が受けた損害を費目別に記すと次のとおりである。
(一) 治療費等 金一七万四七七八円
(イ) 治療費 金二万八六九八円
<証拠>によれば、原告は治療等のために金二万八六九八円の出捐を余儀なくされたことが認められる。
(ロ) 付添看護費 金一万五〇〇〇円
<証拠>によれば、入院期間中の五日間、原告の母が付添いしたことが認められ、手術がなされたことを考慮するとこれはやむを得ず、一日三〇〇〇円の割合による計金一万五〇〇〇円の費用を要したものと認めるのが相当である。
(ハ) 入院雑費 金三万一二〇〇円
原告は入院期間中一日金六〇〇円の割合による五二日分計金三万一二〇〇円の費用を要したものと認めるのが相当である
(ニ) 入通院交通費 金九万九八八〇円
<証拠>によれば、原告は入通院のために使用したバス、電車及びやむを得ず使用したタクシーの料金として九万九八八〇円を支払つたことが認められる。
(二) 逸失利益 金五四二万三七七四円
(イ) 収入減額 金五四万一一六六円
<証拠>によれば、原告は本件事故に基づく傷害のために、従来川崎市消防局臨港消防署において放水長の地位を有し、給与もこれに応じて高かつたが、その職を免ぜられ、昭和五五年四月一日には高津消防署警備係に転出し、同年五月には同署予防係に転じたうえ、それまで得ていた諸手当が受けられなくなり、昭和五三年一〇月から昭和五五年一月までの間に少なくとも五四万一一六六円の得べかりし収入を失つたことが認められる。
右各証拠中には、原告が昭和五三年一二月に受けるべきいわゆる差額が一万五〇〇〇円減額となつて支給されたとする部分があるが根拠に乏しい。休職となることを避けるために有給休暇を以てこれに当てたことを示す部分もあるが、他に取るべき有給休暇を治療期間に振向けたことが直ちに損害となるとは解し難い。更に国民の祝日に当る日には出勤しなくとも七時間分の賃金が得られたはずだとする部分もあるが納得し難い。最後に、昭和五四年四月から昭和五五年一月までの給与減額分の計算を、昭和五三年一〇月から昭和五四年三月までのボーナス、差額を含めた受給総額を六で除したうえ一〇を乗じてなした部分があるが、明らかに不当であり、証拠の範囲内で計算すれば、昭和五三年一〇月から昭和五四年三月までの減少額のうちボーナス分を除いた一九万〇四一三円を六で除したうえ一〇を乗じて得た三一万七三五五円となり、これを超える部分については計算し難い。
(ロ) 労働能力喪失補償 金四八八万二六〇八円
原告の傷害の程度から推して原告は相当の労働能力を喪失したものと認められ、右(イ)に示したとおり収入減となつて現われているが、将来の予測については、他に適確な資料もないから、先の昭和五三年一〇月から昭和五四年三月まで六月間の減収一九万〇四一三円の年換算三八万〇八二六円を以て労働能力喪失による損害の算定基礎とするのが相当であり、昭和五五年から原告が六〇歳となる昭和七六年(<証拠>によると原告は昭和一六年一一月一一日生まれであることが認められる。)まで二一年間毎年右額の得べかりし収入の喪失があつたとして中間利息控除のためにいわゆるライプニッツ係数を用いて計算すると四八八万二六〇八円を得る。
(三) 慰藉料 金二〇〇万円
<証拠>によれば、原告は前記のとおり五二日間入院し、同五三年一一月一六日から同五五年二月六日まで通院治療を受けたこと、原告の右手人指指は骨部にまで達する挫滅創により第一関節より先の指肉が欠落し、手指感覚を喪失し、運動機能が損われたこと、また原告は川崎市消防局臨港消防署に勤務し、陸上海上放水長及び海上の消防艇の甲板長を兼務していたが、本件事故による後遺障害のため火災出場等の業務遂行困難との理由で放水長の職を解かれ、高津消防署に転じ、看視係、補助的作業残留員等の第一線以外の職場しか得られないことになつてしまい、このため原告は著しい精神的苦痛を受けたことが認められ、これを慰藉するには少なくとも二〇〇万円を要すると認めるのが相当である。
(四) 過失相殺
<証拠>を総合すると、原告は、芝刈場所が斜面でありすべりやすいことを十分認識していたこと、昭和五二年秋期の芝刈作業の際にも本件芝刈機を操作しており、その構造、危険性を理解していたことが認められ、これに先に認定した事故態様とを併せ考えれば原告には、本件事故発生について重大な過失があるといわねばならないから、過失相殺として総損害のうち七五パーセントを減ずべきものとするのが相当である。
(五) 弁護士費用
本件事案の内容、審理経過、認容額等にてらし、原告が本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用は金二〇万円とするのが相当である。
(六) 原告は、上中ノ原住宅の住民、被告組合が原告を敵視して居り、転居しない限り安心な生活ができないから、これによる損害(引越の費用)の賠償を求めるとも主張しているが、被告らが原告一家を敵視していると認めるに足る証拠はなく、訴訟を契機に原告一家と被告らとの間に軋轢が生じたとしてもやむを得ないことである。原告の主張は失当である。
五結論
よつて、原告の請求は、金二〇九万九六三八円及び右金員のうち一八九万九六三八円に対する訴状送達の日(請求の日)の翌日であることが記録に明らかな昭和五五年七月四日から、うち金二〇万円に対するこの判決確定の日の翌日からそれぞれ支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する
(曽我大三郎)